Gallery -葉月-《阿修羅》

《阿修羅》

 

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「阿修羅」

梅雨明け後の猛暑の日々を、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。
私はひたすら絵に集中することで精神面のすきを見せないようにし、
ジムで汗を流すことで肉体的にもすきを見せないようにして、
夏バテを遠ざけています。
つまり「油断を見せたら危ない!」と自分に言い聞かせているわけです。
ところで8月は暑いだけでなく、熱い季節でもあります。
皆さんが思い浮かべるのは甲子園の全国高校野球大会でしょうか。
それともロンドンの世界陸上でしょうか。
はたまたプロ野球ペナントレースの山場でしょうか。

しかし、日本人として忘れてならないのは、
先の戦争で広島と長崎に8月6日と9日に落とされ、
一瞬にして都市と人間を丸ごと焼き尽くした原子爆弾の「熱い」悪夢でしょう。
戦後生まれの私は映像でしか原爆のきのこ雲を見たことがありませんが、
文明批評の絵を描いている私にとって、
その異様な姿はいちど見たら忘れられないような、
見てはいけないものを見てしまったような、
まさに「パンドラの箱」が開いてしまったような衝撃的なものでした。
しかし、現実としてそれが続けざまに日本に落とされた以上、
その姿から目をそらすことはできなくなりました。
そしてそれに対する怒りや恐怖や不安から、
これまでも絵のモチーフとして、
キノコ雲的形象を何度も描いてきました。
それが人間の脳から生み出されたものであることから、
脳のイメージと重ねたり、
それが計り知れないエネルギーを放出することから、
南瓜の形とダブらせたり、
色々と試みてきました。

2016年のある日、
「科学者の罪と罰」をテーマにしたテレビの特番で、
これまで以上に衝撃的なキノコ雲の映像が流れました。
写真ではなく、動きと時間を伴った映像だったので、
私にはそれが「得体のしれない恐ろしい生き物」のように感じられました。
自分が科学者でなく芸術家で良かったと本当に思いました。
と同時に芸術家の仕事として、
この映像の衝撃を何らかの形で描きとめ、
多くの人に伝える義務があるのではないかとも思いました。

そうして生まれたのが、今回紹介する《阿修羅》という大作(182㎝×259㎝)です。
巨大なキノコ雲を背景に13匹の羊たちが宙空を跳び交いながら闘争し、
その果てに核の炎で皆焼き尽くされてしまうという地獄を描いています。
これまでと違うのは、
キノコ雲を暗喩としてではなく、真正面から描いたことです。
最初は題名を《最後の審判》にするつもりでしたが、
制作途中にこの絵を見た家内が、
構図の印象から「アシュラみたい!」と言ったのです。
アシュラとは国宝の仏像《阿修羅》のことです。
家内はあの仏像の腕の動きに似たものをこの絵から感じたようです。
辞書で調べると、
「阿修羅とは争いが絶えない世界のこと」とあったので、
この絵の題名を《阿修羅》に決定しました。

《阿修羅》は「美しい絵」ではありません。
私自身の中でも未だ位置付けが定まっていない作です。
言わば実験作のようなものですが、
このような絵が自分にも描けたことを嬉しく思っています。
ピカソがあの《ゲルニカ》を描いた気持ちが、
少し分かったような気がしています。
その時の強い感情で、
「予定調和」ではない表現が生まれることが、
芸術の面白さなのかもしれません。
社会情勢が不透明な昨今、
私達の生きている世界に二度と《阿修羅》のような状況が訪れないように、
普段から「油断を見せたら危ない!」という気持ちで、
世の中の動きを見て行きたいと思います。

泉谷 淑夫

 

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