美術の散歩道 第4回

第4回「北方ルネサンスのヤン」

前回まで3回に渡りレオナルド・ダ・ヴィンチの話をしてきました。
レオナルドは誰もがよく知るルネサンスの“万能の天才”です。

彼が活躍した15世紀末から16世紀前半にかけてのイタリアには、ボッティチェリやミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠もいて、その豪華さには圧倒されます。
そんなことから日本でも、ルネサンスと言えばイタリアを中心に語られることが多いわけです。

実際、西洋美術史の本を開くと、ルネサンスはイタリアから紹介されるのが当たり前のようになっていて、

ドイツやフランドル(今のベルギー)などの北方ルネサンスは、その後にコンパクトに紹介されるのが普通です。

しかし、私は何事も相対化するのが好きですから、色々調べてみると必ずしもルネサンスはイタリア中心ではなく、北方ルネサンスにもすごい画家が何人もいるということが分かってきました。

一番はレオナルドの登場するはるか以前に、絵の完成度では決して負けていない画家がフランドルで活躍していたという事実です。

その画家とは《アルノルフィニ夫妻像》を描いたヤン・ヴァン・エイクです。《アルノルフィーニ夫妻像》(写真参照)は1434年に描かれていますから、《モナ・リザ》の制作年1503年に、だいぶ先駆けています。

《アルノルフィーニ夫妻の肖像》ヤン・ヴァン・エイク
《アルノルフィーニ夫妻の肖像》ヤン・ヴァン・エイク

ヤンは西洋美術史では「油絵技法の完成者」ということになっています。彼の実作を見て驚くのは、画面の密度が異常に高いことです。

ヤン以上の完成度を油絵において達成した画家はおそらくいないでしょう。
私は最初に「成し遂げた」人が最高の境地まで上り詰めてしまうんだな、と思っています。後はゆったりと下っていき、しばらくするとまた革新者が現れて、新しい頂点と方向性を示すという流れです。

例えばぼかし技術のスフマートを始めたのはレオナルドで、対比明暗法を始めたのはカラヴァッジョですが、いずれも最初に「成し遂げた」彼らが最高の到達点を示しています。
モネの筆触分割技法やスーラの点描技法においても同じことが言えるでしょう。レオナルドは油絵の代表的技法である細密描写や質感描写はヤンが成し遂げてしまったから、後はぼかすしかないなと思ったのかもしれません。

《アルノルフィニー夫妻の肖像(部分)》ヤン・ヴァン・エイク
《アルノルフィニー夫妻の肖像(部分)》ヤン・ヴァン・エイク

《アルノルフィニ夫妻像》には画面の奥に凸面鏡が描かれています。
そこには夫妻の後姿とともに、二人の手前にいる二人の人物までが映っています。(写真参照)

つまりヤンは自分を取り巻く世界のすべてを描こうとしたのです。画面左側にも窓が描かれ、外の世界が垣間見られます。
ここにも内も外もすべてを描こうとしたヤンの野心が感じられます。
それほど油絵という技法と矩形(くけい)の画面はヤンに表現する力を与えたのだと思います。

実はこの時代の北方の画家たちが描いた宗教画にはある共通点があります。
それは舞台となった室内に、しばしば窓が描かれ、窓で区切られた外の世界が緻密に描写されているのです。

私はそこに西洋の画家たちの風景への強い憧れと風景画の誕生を予感するのですが、長い間キリスト教の教義にがんじがらめにされていた西洋絵画では、風景を画中に描き入れることも、風景を絵の主役にすることも許されませんでした。

しかしルネサンス期は中世に比べると宗教上の縛りも緩くなり、画家の地位も向上したので、これまでにない機運が盛り上がってきました。
その最たるものが「西洋における風景の発見」だったと思われるのです。
そしてそれこそが北方ルネサンスの特色であり、後にイタリアの画家たちに影響を与えることになる北方の優位性だと考えています。

ヤンが1435年頃に描いた《ニコラ・ロランの聖母》を見ても、主役の聖母マリアや幼児キリスト、寄進者の宰相ロランよりも、多くの人は窓越しの風景の素晴らしさに目を奪われるのではないでしょうか。(写真参照)

《ニコラ・ロランの聖母》
《ニコラ・ロランの聖母》ヤン・ヴァン・エイク
《ニコラ・ロランの聖母(部分》ヤン・ヴァン・エイク
《ニコラ・ロランの聖母(部分)》ヤン・ヴァン・エイク

この辺りの事情は次回詳しく語る予定ですが、今回は私とヤンのかすかな接点として、一枚のパロディ作品を紹介して、話を閉じようと思います。

その作品は私の絵のコレクターの方から依頼されたものです。
過去に2度その方の愛猫を描いたので、今度は愛犬を描いてほしいという要望に応えて制作しました。

名画のパロディで行こうと決めていたので、図らずも模写する対象としてはできれば避けたいヤンの絵を選んでしまいました。
理由は《アルノルフィニ夫妻像》には素敵な犬が描かれているからです。
その犬を依頼主の犬と交換して、という企みが成功したかどうかは皆さんの判断にお任せします。(写真参照)

《ボクが主役》
《ボクが主役》

私の感想はヤンの細密描写はそう簡単に模写できるものではないということでした(笑)。