
第二回「L.H.O.O.Q(彼女はお尻が熱い)」
5月から新しく始まった『美術の散歩道』、皆さんに楽しんでいただけているでしょうか?
今回は前回の続きで《モナ・リザ》についてもう少し語ろうと思います。
皆さんは作者のレオナルド・ダ・ヴィンチについては、よくご存じでしょうか?
日本では略してダ・ヴィンチとよく言いますし、
『ダ・ヴィンチ・コード』という映画が大ヒットしましたので、
ますます「ダ・ヴィンチ」が略称として定着してしまいそうです。
しかし、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」という名前は、
後ろから訳すと「ヴィンチ村出身のレオナルド」という意味なのです。
ですから「ダ・ヴィンチ、ダ・ヴィンチ」と言っていると、
「ヴィンチ村の、ヴィンチ村の」と言っているだけで、
実は誰のことを言っているのか分からないのです。
これからは日本でも「レオナルド」で通せるようになってほしいものです。
ちなみにレオナルドのレオはライオンのことですから、典型的な男の子の名前と言えるでしょう。
そのレオナルドが生まれたのが1452年。
実は私は1952年生まれですから、レオナルドの500年後に生まれたのです。
「それがどうしたの?」と言われると身もふたもないのですが、
こういう偶然を自分の都合の良いように解釈するのも、
前向きに生きる方法の一つではないでしょうか。
「俺はレオナルドの500年後に生まれたのだ!」と言い聞かせて、絵の制作に励むというわけです。
他愛のない話ですが、皆さんにはこのようなことはありませんか?
ちなみに私の誕生日は女優の松嶋菜々子さんと一緒ですけどね(笑)。

《モナ・リザ》

《L.H.O.O.Q》

《髭を剃ったL.H.O.O.Q》
さて前回の《モナ・リザ》のパロディの話の中で、
マルセル・デュシャンのパロディに少し触れましたので、
今回はその話を掘り下げます。
デュシャンは“前衛の神様”として今でも彼の精神は多くの前衛作家に受け継がれていますが、
最大の功績は創造活動の中に「レディメード」という概念を持ちこんだことでしょう。
「レディメード」とは既製品に少しだけ手を加えて「美術作品」として発表することです。
つまり作者はほとんど作品作りには関わらずに、
独自の見方で既製品に美術的価値を見出し、
鑑賞者に問いかけるというものです。
デュシャンの「レディメード」で有名なのは、
男性用小便器に《泉》と名付けて展覧会に出品した1917年の作品です。
この作品の謎解きにはこれまで決定版の解答が出ていないので、
《泉》は今でも前衛作品としての輝きを失っていません。
では《モナ・リザ》の複製画にちょび髭を描きこんだ1919年作
《L.H.O.O.Q(彼女はお尻が熱い)》の方はどうでしょうか(写真参照)。

デュシャンの意図は、
《モナ・リザ》の作者であるレオナルドが男色家であることをほのめかし、
名画中の名画を揶揄することだったと思います。
しかしこれだけでは単なるいたずら書きと受け取られる恐れもあるので、
1965年にデュシャンは第二の仕掛けを行います。
今度は《モナ・リザ》が印刷されたトランプカードをそのまま提示し、
それに《髭を剃ったL.H.O.O.Q》という題名を付けたのです(写真参照)。

これは前作が十分に世の中に浸透しているという自負の元に、
新たな仕掛けを行うことで、
再び自身を前衛美術の最前線に位置付けるというねらいがあったように思います。
そのねらいは見事に当たったと言えるでしょう。
何故なら何も手を加えていないトランプカードに、
「髭を剃った後のモナ・リザ」という「新しい意味」が生まれることになったからです。

つまり最初に実物の《モナ・リザ》があり、
次にその複製画にちょび髭を描き加えた《L.H.O.O.Q(彼女はお尻が熱い)》が続き、
最後に何も手を加えていない《髭を剃ったL.H.O.O.Q》が来ると、
この三者にそれぞれ別の存在価値が生まれるのです。
「価値を生み出す」ということは一種の創造行為ですから、
デュシャンのこのたくらみはまんまと成功したということです。
まさにデュシャン恐るべしですね。
と同時にパロディの対象になった《モナ・リザ》にそれだけの存在価値があるからこそ、
デュシャンのパロディも価値付けられたということでしょう。
次回も《モナ・リザ》関連の話をします。