画像をクリックするとモニタのサイズに合わせて全体像が表示されます。
「待つ」
11月は予想外に暖かく、まさしく小春日和が続いて、秋のさわやかさをしばし味わえたことは幸せでした。
しかしいよいよ12月、これからしばらくは色のない世界の中で寒さに耐えていかねばなりません。
ただ私はこの季節が嫌いなわけではありません。
何しろ「殺風景な美」を愛していますから、色のない世界もそれはそれで魅力的なのです。
それに寒い季節は夜が長いので、
集中力が増して、より絵に打ち込めるようにもなるからです。
というわけで今回は、色のない殺風景な一枚を紹介します。
絵の題名は《待つ》。
どんよりとした初冬の海岸に羊たちが集まって、
海の彼方を眺めて、何かを待っているかのような情景を、
想像で描いたものです。
羊たちが何を待っているのかは、
作者である私にも分かりません。
ただ、普段は草原にいることの多い羊たちが、
草一本生えていない海岸にいること自体が不自然で異様です。
足場も悪いので、羊たちは不安定な状態に置かれています。
もちろん当の羊たちは、
自分たちが何故このような場所にいるのかに思いを馳せることもなく、
安穏としているようにも見えます。
実はこの絵を描くに当たり、強く意識した作品があります。
それはドイツのシュルレアリスト、
リヒャルト・エルツェの描いた《期待》というミステリアスな絵です。
暗く思い雲が垂れこめる画面には、
帽子とコートを身に付けた紳士たちと着飾った数人の婦人が荒野に集まり、
静かに空の彼方を見つめています。
UFOか神の出現でも待っているかのようです。
この絵は第二次世界大戦が始まる少し前の1936年に描かれた作品で、
「戦争」を主題としたシュルレアリスム絵画の中で、
ダリの《内乱の予感》1936年、
エルンストの《雨後のヨーロッパⅡ》1942年と並ぶ傑作だと、
私自身は位置付けています。
ただエルツェは、あくまで当時の社会状況を暗示するだけで、
「戦争」そのものを表象しているわけではありません。
しかし《期待》という題名とは裏腹に、
この絵は私たちに大きな不安を抱かせるのです。
日本でも靉光と言う画家が1938年に、
日中戦争から太平洋戦争に至る暗い時代を鋭く見つめる傑作
《眼のある風景》」を描いています。
私もシュルレアリスムを学んだ画家の一人として、
常に生きている時代の空気を敏感に感じ取り、
それを作品に反映させようとしています。
《待つ》もそんな作品の1点なのです。
海岸に集結した羊たちに何が起こるのか、
彼らをどんな運命が待ち構えているのかは、私にも予測不能です。
しかし近年の社会状況から、
便利さや効率、物質的豊かさを追求し続けてきた西洋近代文明にも、
いよいよ限界が見え始め、
それらの副作用すら起きていることは、
多くの人が感じ始めているのではないでしょうか。
また核兵器の保有と使用をめぐって、
国家間にエゴむき出しの不穏な状況が生まれていることも、
周知の事実です。
とは言うものの、
誰もがその状況を打開する有効な手立てを示すことが難しいことも分かっています。
これを一般には「閉塞状況」と言うのでしょうが、
まさに現代には暗く重い雲が垂れこめているのです。
画中の羊たちも、この閉塞状況から逃れるために、
とりあえず普段は行かない海岸に出てみたのかもしれません。
果たして残された道は、
そこでじっと何かを「待つ」ことだけなのでしょうか。
泉谷 淑夫