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《風の日》
皆さんはアンドリュー・ワイエスという画家を知っていますか。
20世紀中頃から21世紀初頭にかけて活躍したアメリカの画家で
展覧会やマスコミの扱いが西洋美術中心の日本では
あまり知られていませんでしたが、
1974年に日本で初の展覧会が東京と京都で開かれると
ほとんど無名だったにもかかわらず
多くの美術ファンを魅了し
ほどなくその影響が多くの画家に見られるようになりました。
その理由は、
ワイエスの絵が徹底した細密な写実描写で成り立っていること、
その一方で画面に強い象徴性が宿り
絵から物語が伝わってくることでした。
このような絵の傾向は美術の世界では長らく退けられてきたので
ワイエスの絵に接した多くの人にとって
とても新鮮に感じられたのだと思います。
かく言う私も、
大学3年の時(1973年)初めて美術月刊誌の『みづゑ』で
ワイエスの絵に触れて、魅了された者の一人です。
その年の夏休みに油彩で裸婦を描く集中講義があり
最後の作品講評の時に
私の作品を見た国領先生が
「泉谷君はワイエスを知っているか。」と問われ
「知りません。」と答えたところ、
「みずゑで特集されているから、見たらいいよ。きっと勉強になる。」
と言われたので
早速本屋に出向き
そこで初対面したわけです。
それまではシュルレアリスムにばかり眼が行っていたのですが
その時からアメリカン・リアリズムの表現にも眼が向くようになりました。
そして翌年、
ワイエスの初個展が日本で開かれ
決定的な感化を受けることになるのです。
今から思うと
集中講義で私が画いた後姿の裸婦像は
どこかワイエス風
あるいはフェルメール風とも言えるもので、
写生をベースにした絵では
そのような傾向がもともと私の中にあったということでしょう。
ワイエスの絵に触れた直後は
ストレートな影響が私の絵にも現れましたが
それは真似をしただけの絵で
とても人に見せられるようなものではありません。
他の作家の影響を自分の中で消化するには試行錯誤が必要で
時間もかかります。
とくに私の場合は、
それまでシュルレアリスムの表現に傾倒していたので
切り替えが大変でした。
しかし、
一見遠く離れて見える二つの表現を
自分なりに総合化していく作業は
後の画業の展開に大いに役立ったと思います。
ようやくワイエスを私の中に取り込むことができたかなと
思えるようになったのは1986年頃ですから
出会いから13年かかったことになります。
今回の絵《風の日》は
その頃描いた私なりの「ワイエス風」作品です。
冬枯れの風景の中に
シートカバーをかけられた車が一台唐突に置かれ
強い風でシートカバーがあおられ、
風をはらんでいます。
この絵のねらいは
眼に見えないものを視覚化することです。
描かれた場所は以前私が暮らしていた神奈川県伊勢原市の片田舎で、
家の目の前にあった空き地です。
シートカバーの車は、
別のところで偶然出会ったモチーフで
この場にふさわしいと思い、組み合わせました。
左側には白いドラム缶が置かれています。
これは一言でいえば「殺風景」という形容がふさわしい情景で、
「殺風景の美」こそが
私がワイエスから学んだものだったのです。
もちろん冬枯れの草やシートカバーのしわなどの
細かい描写や全体的な色調に影響があることは
言うまでもありません。
ところで、
この絵に描かれたシートカバーを被った
車やドラム缶を近年見かけなくなったと思いませんか。
おそらくは車の塗装技術が上がったことや
家庭でごみを燃やせなくなったことが原因だと思いますが、
他にも車のフェンダーミラーの位置が違うことなど
この絵は時代の流れを感じさせてくれる要素を多く持った絵でもあるのです。
泉谷 淑夫