Gallery -霜月-《11月の貴婦人》

《11月の貴婦人》

 

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《11月の貴婦人・部分》

 

「11月の貴婦人」

《11月の貴婦人》という題名から皆さんはどんな絵を思い浮かべるでしょうか?

多くの人は、おそらく11月生まれの美人の肖像画を思い浮かべるのではないでしょうか。

実は私は樹が好きで、よく絵にも描くのですが、
紅葉した一本の銀杏の樹の絵に《11月の貴婦人》という題をつけてしまったのです。
それほどその時の銀杏の樹の彩りと佇まいは、
気品のある美しさを湛えていました。
しかし特別な場所にあったわけではなく、
県道沿いの少し奥まった所に一本だけ立っていたのですが、
そこはいくつかある私のお気に入りスポットのひとつで、
その銀杏見たさに、毎年紅葉の時期になると必ずチェックするのです。
その結果、この銀杏の樹は何度も私に描かれました。
銀杏の樹の手前に池があるので、
そこに移った姿を合わせて描くこともありますし、
銀杏だけを描くこともあります。
いずれにしろこの銀杏の樹のシルエットが、私は気に入っているのです。

まずは全図をよくご覧ください。
秋の山を背景にした一本の銀杏の樹が、
紅葉した姿を手前の池に映しています。
水面にはすでに落ち葉が浮かび、
紅葉が終盤であることを暗示しています。
池には背景の山も映っていて、紅葉した銀杏の樹を優しく包み込んでいます。
実景と映像でこの光景が二度楽しめるのは、
本当に贅沢な体験です。
この光景を写真から絵にしようとした時、
私は余計な情報を取り去るため、
思い切って写真の左右をカットし、
極端に縦長の構図にしてみました。
「絵は描きたいものだけを描く」が私の信条です。
この絵の場合も、その操作で私の描きたいものがはっきりしました。
それは今まさに最後の光芒のように光りを放つ銀杏の美しさと、
その姿をおぼろげに映す水面に浮かぶ落ち葉が暗示する時の移ろいの対比です。
つまり、どんなに美しいものも時の流れという非情な掟からは自由であり得ないのです。
だからこそ人は紅葉の美しさに惹かれるのではないでしょうか。
一年中紅葉していたら、誰も関心を示さないはずです。

美のはかなさに惹かれると同時に、
もうひとつ、紅葉への思いが私にはあります。
それは秋という季節を人生にたとえるなら、
寿命が延びた昨今では、
おそらく50代後半から70代後半くらいが「人生の秋」でしょうか。
つまり今年66歳になった私は、まさに「人生の秋」のど真ん中を生きているのです!
この時期にできれば人間として「紅葉」し輝きたい、
見てもらいたいという願いがあります。
思えば若い頃はそれほど紅葉に惹かれることはありませんでした。
紅葉の絵をよく描くようになったのも、50歳を過ぎてからです。

秋の陽射しは“魔術師”です。
以前《魔法の入り江》と言う絵を取り上げた時にもその話をしましたが、
紅葉を一際美しく見せているのは、
秋の陽射しなのです。
その光によって紅葉も毎年違う表情を見せてくれるのです。
光の表現は私のどの絵にも共通するもう一つのテーマですが、
とりわけ紅葉を描く時には、光を意識します。
銀杏を輝かせている光の効果を、今度は部分図で確かめてください。
私の場合は背景の紅葉しない木々を引き立て役として使っています。
緑影の中から黄金の銀杏を浮かび上がらせることで、
その存在が一際輝いて見えるのです。
そして手前に赤く紅葉した樹を配することで、
より銀杏の黄を際立たせているのです。
この絵のハイライトはそこに集中しています。
毎年、その輝きが見られる瞬間だけ、
この場所は私の中で“特別な場所”に変貌するのです。

泉谷 淑夫

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