Gallery -長月-《森の道》

《森の道》

 

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「森の道」

私は20代、30代を中学校の美術教師として過ごしてきた。
平塚市の公立中学校に始まり、横浜国立大学の附属中学校まで、
20年近くの間にたくさんの中学生たちとの出会いがあった。
多感な中学生たちとの交流は、
数々の思い出とともに、
かけがえのない私の財産でもある。
中でもデモシカ教師であった私を、
志を持った教師に変えてくれた公立中での期間は、
私の青春時代である。
今回は、その頃出会った一人の女子生徒の話をしてみたい。

彼女は音楽と美術が得意で、数学と体育が苦手という、
眼鏡をかけた大柄な女子生徒であった。
2年時から私が担任したが、
最初は何となく私に批判的で、
絡んでくることが多かった。
その様子を学年主任に相談したところ、
「それは泉谷さんの可愛がり方が足りないからだよ」と、ズバリ言われた。
それで班活動を始めた2学期からは思い切って班長に指名してみた。

班長になったことで、彼女にリーダーとしての自覚が芽生え始め、
私との関係も上手くいくようになった。
もともと美術も得意だったので、私の評価は高かったのだが、
数学や体育という苦手が彼女に自信をつけさせるのを邪魔している感があった。
そんな彼女が完全に脱皮したのは、
3年時の合唱コンクールであった。
私のクラスの合唱は、練習ではまとまらず彼女も苦労した。
しかしコンクール直前に彼女が大泣きした後、
急激にまとまり、
私の中に密かな期待が生まれていた。
そして当日、指揮者としてクラスを率いた彼女は、
素晴らしい合唱を披露し、
見事優勝という結果で期待に応えてくれた。

そんな彼女は大学には行かずに一人海外に出て、
舞台美術の勉強を始めた。
何度か便りも来て、
横浜での私の個展が大きな刺激になって、
海外での勉強の道を決めたということも知った。
そして私の制作活動を応援しているということだった。

その後紆余曲折を経て、
久しぶりに私の所に届いたエアメールは、
何と結婚報告であった。
ドイツ人の起業家と結ばれ、
北ドイツのブルグドルフという田舎町で暮らしているという。
広い家なので滞在して取材もできるし、
カスパー・ダヴィッド・フリ-ドリヒが好きなのだからドイツにおいで、と言う。

気球が跳び、ポプラの樹がそびえ立つ北ドイツの風景と、
フリードリヒの絵につられ、
その年の9月、家内と二人で教え子の家に世話になることにした。
2週間ほどの滞在であったが、
英語もドイツ語も話せる彼女と、
私の絵のファンになってくれた御主人にも助けられて、
40点を越えるフリードリヒの実作に出会え、
風景取材も充実し、収穫の多い旅となった。
その後、彼女一家との交際はしばらく続くこととなる。

今月の一枚《森の道》は、
そんな第一回の北ドイツ旅行の取材から生まれた作品である。

この道は彼女が先導し、
妻が続き、最後に私が歩いていった道で、
落ち葉を踏みしめながら進んで行き、
出口が見えてきたこの辺りで撮った3枚の写真を合成して、
その時の記憶を元に描いた。

描きたかったのは、
森の茂みの間から差し込む幾筋もの木漏れ日であった。
暗い森の道を歩く人々に、
この木漏れ日はどれほどの希望を与えたことだろう。

私はこの絵を見ると、
中学3年時の合唱コンクールでクラスを逆転優勝に導いた彼女の心の中にも、
こんな風景があったのではないかと想像するのである。

泉谷 淑夫

 

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