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「大空の道」
4月になり、いよいよ私の新生活もスタートです。
長年通った岡山大学を去る寂しさと、
新天地の大阪芸大への期待が入り混ざった複雑な心境です。
そんな思いで研究室の片づけに明け暮れていた3月初め、
ふと4月の絵を何にしようかと考えた時、
私の心に浮かんだのが3月の絵にも登場していた気球でした。
その絵の紹介文の中で、
気球は私が岡山大学赴任当時のメイン・モチーフのひとつだったことを書きました。
気球は風の力を利用して空中を移動する、
極めてエコでスリリングな乗り物です。
その反近代性にはロマンすら感じます。
効率性を追求する現代では、
気球を移動手段とする人はほとんどいませんが、
競技としては盛んに行われていますから、
気球に魅せられている人はかなりいるようです。
かく言う私はまだ気球に乗ったことはありませんが、
気球を描くことは大好きです。
描いている気球に気持ちが移って、
自分も空中散歩をしているような開放的な気分になれます。
私が気球に惹かれるのは、
地球の根源的なエネルギー源である風を巧みに利用しているところです。
そして「いい風」を我慢強く待つ姿勢も尊いですね。
現代人は何しろ「待つ」ことの大切さをすっかり忘れてしまっています。
私も普段の生活では、つい「待つ」ことを忘れてイライラしたりしがちですが、
気球を見ていると大切なことを思い出す気がします。
そこで今回は初めて『ギャラリー暦』のために描き下ろした作品を紹介します。
題して『大空の道』。
実を言うと『大空の道』はリメーク作品です。
今回気球を描こうと以前の絵を調べていたら、
一枚の気球の絵が目に留まりました。
その絵を見ると、
岡大に来た頃の希望に胸を膨らませていた自分が思い出され、
再び新天地に旅立つ今の姿にオーバーラップしました。
そして自己確認のためにも、
もう一度この絵を描いて見ようという気になりました。
リメークするに当たっては、構図を少し変えました。
画面の下に空間をとり、
右下に虹を加え、
一番奥の気球は位置、大きさ、配色を変えました。
後は原作のイメージを大事にしました。
私はかつて、
かの北斎が自己確認のために「大波」を10年周期で描いていた
という仮説を論文で発表したことがありますが、
画家は自分の本質に関わるものを見失わないように、
このようなことをするのではないかと再認識した次第です。
『大空の道』のテーマは「自由」です。
大空という開放された空間には、
地上のような道はありません。
しかし鳥たちはその優れた本能によって行くべき道を迷わずに選択し、
自分の力で飛んでいきます。
それが「自由」ということなのです。
つまり「自由」とは「自らの思考と能力に由る」ことだと私は考えます。
そして鳥たちは、
地球の現象である気まぐれな風を味方にするのです。
気球は鳥のように自由ではありませんが、
風を味方にする点では一緒です。
風を味方にするためには、
「風を読む」必要があります。
この「風を読む」という能力は、
人生においても重要だと思います。
目先の流行に合わせるのではなく、
複雑な人間関係の中で自分を生かし育てていくには、
時代や社会の風を広い視野で捉え、分析し、
時には逆らい、
時には利用する柔軟さが必要です。
人間は自由には飛べませんが、
気球のようにしなやかに、
したたかに飛ぶことはできるような気がします。
『大空の道』に描かれた3羽の海鳥は、
それぞれ違うポーズをしています。
三つの気球もそれぞれ異なるデザインをしています。
皆大空の仲間ですが、
目指す方向も選ぶ道もきっと様々なのでしょう。
雨上がりの大空に架かった虹は、
鳥たちや気球たちの再出発を祝福しているかのようです。
いつだって自然は、
一生懸命生きようとする者たちに対して、
公平にチャンスを与えてくれているのです。
泉谷 淑夫