Gallery -弥生-《飛翔の郷》

「飛翔の郷」

3月は長い間教員をやっている私にとっては、やはり卒業式のシーズンです。
そこで今回は私が最初に勤務した神奈川県平塚市の大住中学校にまつわる絵の話をしましょう。

先月22日(金)の午後、神奈川県平塚市の大住中学校で、
私が描いたM20号の油絵の寄贈式が行われました。
私の絵を共同購入して母校に寄贈したのは「飛翔会」のメンバー約130名です。
「飛翔会」は1981年3月に大住中を卒業した第6回生の有志の集まりで、
中心になったのは私が担任した3年2組のA君やO君、W君らで、
彼らの発案がラインで仲間に広がり、
私の絵を母校に寄贈するプロジェクトが動き出したのです。

私と大住中の関係はと言えば、
1975年4月に私が中学校の美術教師として初めて赴任した先が、
新設の大住中だったのです。
新設の学校でしたので、
美術科を任された私に校章のデザインをはじめ、
色々な仕事が回ってきました。
とにかく忙しい日々が続いた1年目を何とか乗り切り、
絵の方でも1年目に神奈川県美術展で準大賞を、
2年目には同美術展で大賞を受賞し、
その際に新聞やテレビに何度も取り上げられたので、
新設の大住中の名が少しは知られるようになりました。
そんな関係で、3年目に念願の美術部を新設することもできました。

無我夢中の3年間が終わった後、
私は本格的に学級経営に取り組むようになりました。
最初の卒業生たちに多くのことをしてやれなった反省からです。
それで4年目は積極的な生徒たちにも恵まれて、
よいクラスを作ることができました。
ところがクラス替えをして臨んだ5年目のクラスで、
つまづきました。
消極的な生徒が多く、
クラスとしてのまとまりがなかなかできていかなかったのです。
そんな折、
学級委員から提案された班活動を私流に徹底して実施したところ、
半年でクラスの雰囲気がガラッと変わり、
リーダーが育ち、
クラスに活気が出てきました。
班活動は3年時も続き、
CAT&MICE(ネコとネズミたち)という名前も得て勢いのついたクラスは、
2年時にはまったく優勝に縁のなかった
陸上記録会、運動会、合唱コンクールの3大行事を
すべて制覇してしまったのです。

このクラスに関する詳しい話はエッセーを読んでいただくとして、
その時に活躍していたA君、O君、W君の3人が
絵の寄贈の話を依頼しに来たのが昨年の3月。
意気に感じた私は「飛翔」をテーマに新しい絵を描くことを決めましたが、
当時はエッセーの原稿書きに終われていたことや、
10月に個展を控えていたこともあり、
寄贈絵画の制作は、
年内は無理だろうと思っていました。
しかし今年の秋は体調がすこぶる良く、
個展中に浮かんだ絵の構想から2週間ほど構図を練った後、
一挙に油絵で描き始め1か月半で完成させました。

その絵に付けた題名が《飛翔の郷(ひしょうのさと)》で、今回紹介する絵です。

《飛翔の郷》M20号

 

画像をクリックするとモニタのサイズに合わせて全体像が表示されます。

 

この絵に寄せた私の作品解説は以下の通りですが、これにとらわれず、自由に鑑賞、解釈していただければ幸いです。

「この絵は1981年の3月に大住中学校を卒業した人たちと、母校の大住中学校のために描いた寓意画です。大山が見守る自然豊かな環境の一角に新設された大住中学校。そこに新採用で赴任し生徒たちと過ごした8年間は、私にとって青春時代です。そんな私の願いは卒業生たちが大空に飛翔する鳥のように、広い世界で活躍してくれることでした。絵の中の6頭の羊は6回生を、5つの気球は5クラスを表しています。そして3羽の鳩は、向かって左から保護者、生徒、教師をそれぞれ象徴しています。つまり「保護者が見守り、教師が支援し、生徒が羽ばたく」という三位一体の姿を、教育の理想として表したものなのです。また5つの気球は、個性に応じた夢や希望でもあり、それを生徒たちでもある羊たちが、見上げて憧れているところから、この絵は在校生たちへの、私からのエールでもあるのです。」

泉谷 淑夫

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