美術の散歩道 第3回

第3回「レオナルドの謎」

《モナ・リザ》レオナルド・ダ・ヴィンチ

《モナ・リザ》は世界一有名な絵ですが、その一方で分かっていないこともたくさんあります。
つまり《モナ・リザ》は「謎だらけの名画」というわけです。

例えば、
モデルは誰なのか?
肖像画なら何故最後までレオナルドは手元に置いていたのか?
一説に言われるように、《モナ・リザ》はレオナルドの自画像なのか?
あの何とも言えない微笑が表しているものは何なのか?
背景の風景はいったい何処を描いたものなのか?
等々、次々と謎が浮かんできます。

そしてこの「謎」ほど人々の興味を惹きつけるものはないのです。
逆にすべてが分かりきってしまうと、人は安心して興味を失ってしまいがちです。

実は《モナ・リザ》に限らず、レオナルド自身にも多くの謎が付きまとっています。
いくら好奇心旺盛で、研究熱心だったからといって、
専門とした絵画の分野で着彩画の完成作がわずか10点程度というのは、いくらなんでも少なすぎます。
当然、未完成作が多かったわけですが、これも謎です。

《最後の晩餐(部分)》レオナルド・ダ・ヴィンチ

また絵画技法に習熟していたはずなのに、《最後の晩餐》の制作では、壁画にふさわしくない油性のテンペラ技法を使用したために、完成後ほどなくして絵具が剥落し始めるという大失態を犯しています。
しかしこの壁画は完成時の面影が判別できないボロボロの状態でも多くの人々を魅了し続けています。
おぼろげな画面故に人々の想像力を掻き立て、永遠に人々を惹きつけるのかもしれません(写真参照)。

まさか技法の失敗をあえてやったとは思いませんが、あまりにも不可解なことが多いので、レオナルドの最大の関心事は「芸術を通して謎を創りだすこと」にあったのではないかと勘ぐってしまいます。
もしそれを意識的にやったのだとしたら、レオナルドはまちがいなく前衛芸術家です。

37歳で夭折したにも関わらず、完成度の高い美しい絵を、数多く残したラファエロとは対極に位置する芸術家です。
そういえば西洋絵画史において19世紀前半まではラファエロが基範でしたが、印象派登場後の前衛美術主流の時代になると、レオナルドの再評価が進んだという事実は、このことと関係があるのかもしれません。

そして前衛美術全盛の20世紀になると、芸術を通して謎を創り続けたもう一人の芸術家が登場します。
そうです、前回紹介したマルセル・デュシャンです。

デュシャンの代表作《泉》や通称《大ガラス》は今でも謎に包まれたままですが、初期の油彩作品である《階段を降りる裸体Ⅱ》や《花嫁》なども明快に解説することが困難な作品です。
もしかしたらデュシャンはレオナルドの謎めいた作品群から、自分と同じ“匂い”をかぎとったのかもしれません。
前回紹介した《モナ・リザ》の複製画に髭を描きこんだ《L.H.O.O.Q.》も、名画への揶揄が目的ではなく、デュシャンからレオナルドへのラブコール、すなわちオマージュだったのかもしれません。
そう言えばデュシャンにも女装趣味があり、一般的な性の境界を越えているという意味でも二人は通ずるところがあるのかもしれません。

思えば2000年以降に大ブレークしたフェルメールや若冲も、最初は謎を纏った芸術家でした。
もしフェルメールの作品が30数点ではなく、たくさんあったら、これほどのブームは起きていたでしょうか。
もし若冲が異常な密度の『動植綵絵』を30幅も描かなかったら、あれほど驚異の眼差しが注がれたでしょうか。

謎が生まれるには、やはり尋常ではない何かが必要なのです。

そんな謎に包まれたレオナルドに、近年新たなビッグニュースが加わりました。一部の専門家にレオナルドの真作と鑑定された《サルバドール・ムンディ》という作品が、何とオークション市場最高価格の508億円で落札されたのです。

《サルバドール・ムンディ》レオナルド・ダ・ヴィンチ

この作品はイエス・キリストを正面から描いたもので、以前から知られてはいたのですが、後世の加筆で神秘的な雰囲気が損なわれていました。
近年の修復で加筆部分が取り除かれた結果、現在の姿に蘇ったのです(写真参照)。

この作品は私も好きですが、ちょうどこのニュースが街に流れていた頃、偶然姫路の画材屋で複製画を見つけ、即購入しました。
実物よりも二回り小さいサイズですが、印刷は精巧で作品のオーラも感じられます。
この作品が本当に真作かどうかまだ不確かな部分があるだけに、レオナルドにさらに謎が加わることになり、レオナルドはますます「謎の画家」の道を歩んで行くのでしょう。